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戦後76年 戦争体験と教訓と

=戦争を知る第2世代として=

2021 8 15

大村春樹

 

終戦後76年となる今、戦争の1時期を生きその惨禍の一部を知る小生として、何か言うことが求められているようなので以下に少し記します。

 

1. 小生の戦争体験

小生は1939年(昭和14年)4月、東京世田谷で生まれました。父は建築家で、終戦前年には中国海南島で後方支援部隊として飛行場の建設に携わっていたと聞いています。我が家には、南方で買い求めたらしいヤシの実で作った人のマスクや、鬼が持っているトゲトゲのつくヤシの木で作られた「まさかり」のような武具がありましたが、父が家にいた記憶はありません。おそらく5歳くらいの時でしょうか、母は地域の防空壕堀に駆り出され根津山(梅ヶ丘)に行って勤労奉仕をし、小生は小田急線の線路側で弟と遊んでいました。1945年3月10日の東京大空襲時には、すでに母の実家のある静岡市に疎開していましたのでこの防空壕に入った事はありません。

 

静岡市の住宅街にあった母の実家は隠居の祖父母が住む130坪の土地に立つ30坪ほどの平屋、10畳、6畳3室、3畳というあまり大きくない家でしたが、そこに祖父母と母の姉妹5人の家族20人ほどが疎開で集まっていました。

成人男性は戦争に出ていましたから祖父母の他は、母達姉妹5人、10歳を頭に従兄弟たち13人、小生の寝床は押し入れでした。静岡の空襲は6月10日、 B29が焼夷弾を撒き散らす夜、まだ小さな従兄弟たちを乳母車に乗せ、それを押して歩く母に小生は手を引かれ、ほど近い谷津山の麓にある「蓮永寺」近くに避難する為に逃げました。途中、工業高校の校舎が真っ赤に燃える脇を通り、

脱げ落ちた靴を取り戻すのも怖くて片足裸足で歩いたことを覚えています。

その年の4月から小学校に入学していましたが、この空襲で市中心部にあった小学校は全焼、母の実家は辛うじて戦火を免れましたが、静岡市の郊外平山の一農家に再疎開して終戦を迎えました。

 

母の姉妹とその家族一団は終戦後祖父母の家に戻りましたが、戦地から戻ってきた父親たちも入って一時は一つ屋根に24人が住むことになりました。育ち盛りの子供たちを含め2ダースの胃袋を毎日満たすのに母たちは毎日苦労したようです。着物を持って田舎に行って食料を調達してきた話をよく小耳にしました。小生たちも田んぼでイナゴを取ったり、川でエビ蟹を取ってきたり、祖父も小生と従兄弟の誠君に投網を担がせ巴川に魚を取りによく行きました。時には祖父は戦前から静岡市町内会連合会長を務めるなど顔効きでしたので、駿府城のお堀に行って鯉を取ってきたりしました。 それでも食料は足りず主食はジャガイモ、スイトン、米の御飯などにありつくことはありませんでした。

 

学校の校舎は無くなったので、駅南の旧太陽アルミの工場を校舎にして、9月の2学期は始まりました。教室といっても工場の建物に床はなく土間で、そこに机を並べただけでした。この工場では戦前飛行機の部品を作っていたようで、校庭にはアルミ製のプロペラなどが転がっていました。

学校給食は2年生のある時期からアメリカからの援助物資の脱脂粉乳とイルカ、クジラなどの缶詰で始まりましたが、1年生の後半は自宅からのお弁当持参、お米のご飯で作ったお弁当は持って行けず、ジャガイモを蒸したのを経木で包んで持って行きましたが、恥ずかしくて教室から離れて一人で食べた記憶があります。期末にもらう通信簿で全優をもらった時は、母がゆで卵を一個小生だけに食べさせてくれたことを覚えています。卵は当時手に入らなかったのです。

 

2. 戦争はなぜ起こると考えるか

戦争と一口に言っても、世界中が巻き込まれる大戦争から小規模の部族争いまで、古今東西それが起こる原因は種々雑多、色々あります。有史以来歴史が教える戦争の原因を大雑把に分類すると:

1) 個人の征服欲、権力闘争、土地/資源/財産争い、個人的な恨み/妬み、

2) 民族/部族対立、宗教対立、領土をめぐる国家対立、国家間の覇権争い

3) 集団での資源/食料不足、格差是正、貧困からの脱出、

4) ゲーム

などが挙げられますが、個人の争いであれ、国家や民族/部族など集団の争いであれ、そこで常に矢面に立ち、決断/実行をするのは「リーダ」とリーダを補佐する「取り巻き」です。したがって、争いの形、質は主にリーダなど個人の資質、力量によると言っても過言ではないと考えます。

リーダやその取り巻きなど個人の資質、力量で問われるのは:

1) 決断力、統率力、行動力、実行力、完遂力などですが、

2) 持って生まれた性格、知能レベル、幼児体験/生い立ちなどが影響した

3) 倫理観、愛、他者への思いやり、平衡感覚などを含めた人間力、総合力

を持っていることが要求されるでしょう。

 

しかし、リーダやリーダの取り巻きが常にこのような「良い資質」だけを持っているとは限りません、持っていて欲しくない「負の資質」を併せ持っている場合には、争いの当事者敵味方双方の集団が予想もしない不幸に見舞われることになりかねません。

リーダやリーダの取り巻きの「負の資質」とはこんなことです:

1) 決断力、統率力、完遂力が不足

2) 性格的に意地悪い、妬みやすい、努力不足、

3) 倫理観がなく、愛情深くない、人の不幸に無頓著

などです。

 

次に、戦争、争い事を始める段階でリーダやその取り巻きたちが考え、理由付けをして宣伝するのはその争いの正当性、不可避性ですが、その争いが始まる時点における状況、実態そのものが明確に「戦いに巻き込まれる者たち」に分かる場合においても、またリーダたちが自分の都合で争いを始める時にもよく使われるのが「正義」です。小生の考えるところ、「正義」は普遍的なものではなく、流動的で如何ようにも定義され、争い事を始めようとする側やリーダたちが自分の都合の良い方便として使うことができ、戦争や争いの正当性を主張する一つの言い方として使われます。「正義の戦い」は争いを始める側が使い、「正義なき戦い」は仕掛けられた側が使う言い方のようです。

 

3. 戦争での惨禍を防ぐために

戦争など武力紛争などの影響を考察する場合においては、少なくても立場の異なる3つの集団、それぞれの立場の違いを考えなければならないと考えます。

A. 戦争など武力紛争を決断し遂行するリーダおよびその取り巻き、サポータ

B. 戦争など武力紛争を実行する戦闘員、職業軍人、戦闘ボランテイアなど

C. 武力紛争時、敵対行為に直接参加しないか、戦闘外に置かれた人たち

 

小規模の武力紛争ならばその当事者またはそのリーダの「一騎打ち」という戦い方はあリますが、多くの場合は徒党を組んで戦闘員が武力で決着をつけようとします。部族、民族、宗派、国家など大規模な集団で争われる戦争では、武力紛争で戦闘を行う戦闘員とともに、武力紛争に直接参加しないか、戦闘外に置かれた人たちがその戦闘での被害者になりえます。この被害を極力抑えようと、世界の識者はこれまでに色々な手立てを講じてきました。例えば「赤十字」は19世紀半ばのイタリア統一戦争の際に、イタリア北部ソルフェリーノの丘を戦場とした戦いで、スイスのアンリデユナン達が戦闘での負傷者を救護したのを参考として、戦闘終了後ジュネーブ条約で公知され現在に至っています。20世紀に入り世界大戦が相次ぎ、主に国家の側の要請で軍縮が叫ばれ、主に軍隊が持つ兵器、装備、人員などの削減/撤廃を目的に、主要国や国際連合などが国際的な条約を策定、多数国が多数参加しており、主なものをあげると:

1) ワシントン海軍軍縮条約·、1922年2月に米英仏伊日が締結。

2) ロンドン海軍軍縮条約、1930年4月に米英仏伊日が締結。

3) 第二次ロンドン海軍軍縮条約、1936年3月に米英仏が締結。

4) 第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)、1972年5月に米ソ両国政府が署名、1972年9月に米ソ両国議会が批准し発効。

5) 弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)、1972年米ソ両国政府が署名、1972年10月に米ソ両国議会が批准し発効。

6) 生物兵器禁止条約、1971年10月に国連で採択、1975年3月に発効。

7) 第二次戦略兵器制限交渉(SALT II)、1979年に米ソ両国政府が署名、米議会が批准せず未発効、条約は無効化。

8) 特定通常兵器使用禁止制限条約、1980年10月、国連で採択、1983年12月に発効。

9) 中距離核戦力全廃条約、1987年12月に米ソ両国政府が署名、1988年5月に米ソ両国議会が批准して発効。1991年に条約が定める廃棄が完了。

10) ヨーロッパ通常戦力条約、1990年11月、北大西洋条約機構加盟国とワルシャワ条約機構の加盟国が採択、1992年11月に発効。

11) 第一次戦略兵器削減条約(START I)·、1991年7月に米ソ両国政府が署名、1994年に発効。1991年に条約が定める廃棄が完了。2001年に条約が定める廃棄が完了。

12) 第二次戦略兵器削減条約(START II)·1993年1月に米ロ両国政府が署名、1996年1月、米議会が批准。1997年1月、米ソ両国政府は条約の履行を2007年に延期する議定書に署名。2000年4月、ロシア議会は条約と議定書を批准したが、米議会は議定書を批准せず未発効、条約は無効化。

13) 化学兵器禁止条約、1992年9月に国連で採択、1997年4月に発効。

14) 対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約·1997年9月に国連で採択、1999年3月に加盟国が40か国に達して発効。

15) モスクワ条約、2002年4月に米ロ両国政府が署名、2003年6月に発効。

16) クラスター弾に関する条約·2008年に国連で採択、2010年8月1日に発効。

17) 新戦略兵器削減条約·2011年2月に米ロ両国政府間にて発効。

18) 2021年1月に核兵器禁止条約が、核兵器の使用と実験による壊滅的な人道上の被害を軽減する国際人道法上初の法規として発効し、現在55カ国が署名しています。

 

1864年のジュネーブ条約は、「戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約」として赤十字を認定したのに留まらず、第2次世界大戦後の1949年に全面改定され、これをジュネーブ諸条約と呼ぶ以下の4個の条約になりました。

1. 赤十字条約→ 1949年8月12日のジュネーヴ条約(第1条約)

2. ジュネーヴ条約の原則を海戦に応用する条約 → 海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第2条約)

3. 俘虜の待遇に関する条約 →1949年8月12日のジュネーヴ条約(第3条約)

4. 戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第4条約、新設)

 

しかしながら、ジュネーブ第4条約でも、この条約で保護されるのは武力紛争の当事国の国民ではなく、当事国以外の国民で敵対行為に直接参加しておらず戦闘外に置かれた人たちだけを保護の対象にしたものです。

 

4. どうすれば惨禍を防げるか?

戦争など武力紛争で一番惨禍を受けるのは敵対行為に直接参加していない一般市民、女、子供、老人達です。もちろん武力闘争に直接かかわった戦闘員達も覚悟の上とは言え、また3項で述べた国際的な救済措置があっても惨禍に見舞われます。戦争など武力闘争を選んだリーダやその取り巻き達はその責任を問われる立場ですが多くの場合直接武力衝突での危害に会うことは稀です。

どうしたら戦争や武力紛争での一般市民や抵抗することのできない人々の惨禍を防ぎ、少なくできるかは人類が永遠の課題としている問題です。私たちは一度戦争や武力紛争で大惨禍を経験しても、100年近くの世代交代でその戦争体験の教訓は風化して生かせず同じ過ち、惨禍を繰り返す歴史を見ています。

小生が考えるところ「人間の性」を根本的に変えない限り、根本的な解決策はないのではないかと思います。これは不可能として、敢えて幾つかの可能性を探るとすれば:

1) 良きリーダを育て、選ぶ、このためには全ての人々も変わらねば…

教育や宗教の力を借りて、人間の欲望を制御しなくてはならない、

2) 人間の欲望/知恵を使って得た個人/集団/国家の財を再分配または抑制して「格差」を常に制御できる仕掛けを構築する、

3) 戦争など武力闘争などの当事者/国に属していても、敵対行為に直接参加していない一般市民、女、子供、老人達の惨禍を少なくするための国際的な取り決め、戦争犯罪の

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